戸田の船大工 後の海運王
①戸田の船大工緒明家のお話を紹介します。
ヘダ号を造った船大工の嘉吉の息子 当時緒明菊三郎は10才だったのですがその後、親父さんの嘉吉と一緒に紀州藩、筑前大野藩など各地に請われて 「君沢型」の船を教えにいきました。
当時戸田村は 豆州君沢郡部田村(ヘダムラ)と言われたのでヘダ号の型名をキミサワ(くんたく)と言われました
その後品川第4号お台場で お台場造船所(緒明造船所)で日本の造船海運王にまで成った人です
三島の今の樂寿園は緒明家が昭和2年に朝鮮の李王家の皇太子から買い入れたもので当時三島町の年間予算が30万円だったのですが2万坪の土地なので100万円の価値があるのでそれを一手に買える人がいないので、切り売りしようとした時に
緒明けさんが東海の名園が無くなるのは惜しいとの事で資材を投げ打ってでも買い入れたのです。
緒明家がなければ今のままの樂寿園はないのかな?
又後で緒明さんの色々なお話をします。
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