戸田港の和船千石船
明治初期だと思います
対岸の左側の段々はお茶畑だそうです
地主さんは幕末のプチャーチンの御用係斉藤本家の大親戚で
造り酒屋をしていた家です
左端は見えませんがプチャーチンが滞在した宝泉寺があります
右側の家並みの中にヨザヤの大きな屋根が見えます
ヨザヤの本家筋は大浦のショウベイさんと言って
戸田村での毘沙門さんの代理店のような家で達磨さんの取引をしていました
この家は伊勢 長島から毘沙門さんを担いで戸田の大浦に住み着き
長島の出身なので長島の苗字を使用しています
大浦地区では長島の苗字が多いいのはその様な関係です
ヨザヤさんは明治の初めは本家のショウベイさんより勢いがあり
遠くから見ても解るように大きな屋根が見えます
当時の戸田 四十八の家に数えられている家です
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