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2014年06月24日

戸田のTシャツ造ってみました

写真を使用して
地元で案内をする時のユニホームにしようかなと思い造ってみました




富士見海岸道から見た所です



出会い先から見た夕日の御浜海岸です



これは修善寺の桂川ホテルの隣にある
ニコライさんの病気平癒の為に造られたハリストス教会です   


2013年11月14日

河津町、黒田重兵衛

河津町役場の前にある銅像はこの町に多大な貢献をした

黒田さんの業績と、三島市の楽寿園の元の持ち主

緒明さんとの関連を聞きに来ました

天城の望族 足立清次朗さんの三男が黒田家に婿に来た

黒田重兵衛の七代目孝造さんで河津町に貢献された方です

清次朗さんの四男が緒明圭造さんです





デンマークのモルソー社製のストーブの前でしばし懇談




山に行こうとなりまして黒田さんのジープで

この道は本人が一人で造ったそうです



イギリス製です




頂上付近での猪のヌタバです



この実は何ですかわかる人は教えて下さい






木馬(キンマ)とは、山から木を運び出す橇(そり)のような道具です



大正天皇だそうです



右が緒明菊三郎さんです

左の息子さんが緒明豊三朗 緒明家の男系の直系です




  


2013年11月02日

江川家の理系力

韮山の時代劇場に於いて江川太郎左衛門の理系力の

講演、シンポジウム。午後から史跡めぐりがありました


















500円の昼食でした














江川代官の最大の支配地


  


2013年10月25日

長岡江間大北公民館種痘記念碑

長岡江間大北公民館種痘記念碑は

伊豆中央道の江間トンネルの料金所の東側にあります





大北公民館です北面に玄関があります

この裏側南面にはイチゴ狩りができます




公民館の西側に有ります種痘記念碑です









この地区、江間の農民の子供三人を引き連れ

江川代官の命令で江戸神田の岩本町(東京大学医学部の全身)

で伊東玄朴が牛痘を行いましたが八木少年だけが3日後に亡くなりましたが

江川さんが自分の長男、長女を引き連れ無事種痘が成功して世間に信用され

関東では種痘が広がりました

右端の八木さんの御先祖さんが八木少年の子孫で

大北公民館近くに住んでいます














  


2013年10月08日

戸田港の和船千石船

明治初期だと思います

対岸の左側の段々はお茶畑だそうです

地主さんは幕末のプチャーチンの御用係斉藤本家の大親戚で

造り酒屋をしていた家です

左端は見えませんがプチャーチンが滞在した宝泉寺があります


右側の家並みの中にヨザヤの大きな屋根が見えます

ヨザヤの本家筋は大浦のショウベイさんと言って

戸田村での毘沙門さんの代理店のような家で達磨さんの取引をしていました

この家は伊勢 長島から毘沙門さんを担いで戸田の大浦に住み着き

長島の出身なので長島の苗字を使用しています

大浦地区では長島の苗字が多いいのはその様な関係です

ヨザヤさんは明治の初めは本家のショウベイさんより勢いがあり

遠くから見ても解るように大きな屋根が見えます

当時の戸田 四十八の家に数えられている家です





  


2013年09月11日

戸田小6年修学旅行ロシア大使館訪問勉強会

今月戸田小学校6年生達が東京に修学旅行の最初の団体活動

ロシア大使館表敬訪問に付いて戸田とロシアの歴史の事前勉強会をおこないました

子供達は3年生の時に戸田とロシアの関係を教わりましたが

今年各々が修学旅行時の東京の勉強をしていたようですが

神奈川の海老名市にある、日露文化交流センターの

代表。平岡さんの協力によりロシア大使館訪問が実現になり

交流センターの戸田代表の私、山口がロシアとの歴史の講演をしました

日露の友好の小さな外交官になって頂きたいな


この撮影は下田での津波の被害の状況を説明している所かな?

オーバーなアクションをしています

私のホームページの中で戸田造船博物館での案内資料を

写真を添えたのにしたページを見ながら説明しました

アドレスは以下ですよければ見てください

戸田村再発見内、(戸田造船郷土博物館案内マニアルと簡単ロシア語面白コーナー)

私達戸田ふるさと研究会の基本的な案内、使用です

http://web.thn.jp/yamanobu/rosiago.htm

このページの最後に簡単ロシア語コーナーがあり挨拶の言葉を教えました






  


2013年08月02日

白糸の滝の裏側です

小田貫湿原に行く前の景勝地 白糸の滝に行ってきました

小学校の遠足に来たかなよく覚えていません

テレビで月影兵庫か花山大吉の時代劇で

白糸の滝の綺麗な前で殺陣をしたのが今でも印象的です

近衛十四朗(松方弘樹のお父さん)が主演でおからが好きで

お酒も好きで、酒を水で割るのならまだましで

酒屋で、水を酒で割ったのを出しやがってと文句を言ったのが印象的です

品川隆二のまっすぐな(曲がった路でも真っ直ぐ歩く)性格

二人のやり取りと全国の名所、宮崎県 青島の鬼の洗濯板海岸など

再放送で見たいですね

近衛十四朗は中国に戦争に出征して私の叔父(親父の兄貴と一緒に従軍していたそうです)





北西の裏山から見たところで

昔の写真を見るともっと水量が有ったようですね

売店の反対側から撮影しています





右上の方を皆さんは通ります




おびんすいのプレート看板です



おびんすいです





白糸の滝の真上です





真正面から見た白糸の滝です

この下側で橋桁の工事をしていました




白糸の滝の右側にある音止めの滝です
  


2013年08月01日

富士宮 小田貫湿原

ダイアモンド富士で有名な田貫湖の北側にある

小田貫湿原に行ってきました

この地域の標高は700メートルです

この下は溶岩だと思うのですが

湿原になっていのは土が大量に厚くないと保たれないと思いますが

湿原の部分はそれ程広くありませんでした

周りは戦後の植林計画で多くの杉、桧が植えてありました

この湿原が残っていたのは湿地帯なので

針葉樹が植えられなくて良かったです





この向うに天気が良ければ富士山が見えるようです

左に鉄塔が有ったのでアングルを少しずらしました




ガイドパネルです

今はわかりやすく描いてあるので良いですね

田貫湖からの道路標識には小田貫湿原の標識が無くて少し困ったです





小田貫湿原の駐車場にあります紹介パネルです



始めのアングルの反対側で後ろに富士山があります

遠くに鉄塔が見えますがさすがに

湿原の中には建てられなくて良かったです






遠くに針葉樹が植えてあります



ダイアモンド富士の案内パネルを写しました




西側から天気が良ければダイアモンド富士山が見えるアングルです

のんびりマスを釣っていたようですがあまり



少しずらした場所からです

ボートの船着場ですね




  


2013年07月29日

神の道と三保の松の2代と3代

三保の松原に行く前に

大きく右にに曲がります

神の道が在るとは知りませんでした






車では何時も右に曲がり左側を走って松原に簡単に行っていました





この後ろに御穂神社が在り車も数台ですが置けます





此処から歩いて三保の松原に行けば御利益があるかも?




神の道の到達地点です

この後ろに売店があり確か有料の駐車場有ましたが

今では大きな無料の駐車場有りました








誰が作ったのか解りませんがこんなのが有りました



条件がそろえばこんな風景が見られるのですが?




今回はこんなんです








松原の羽車神社です





羽車神社の横に有るのが

これが2代目の羽衣の松です

枯れたので切ったようです




2代目の奥に3代目の松が育てられています

  


2013年06月10日

富士 富士宮 芝川散策

日本大学 国際関係学部 伊豆学フィールドワーク参加

左富士 東海道江戸から下り富士山は右に見えますが

一箇所だけ左に見える所が有ります

依田橋町辺り

江戸時代二度の津波のせいで宿場が移動して

街道が右に曲がり富士山が左に見え

広重が描いた左富士が出来上がりました

道幅は昔5メートル程の松並木でしたが松くい虫の除去が

出来なかったせいで今は一本しか残っていませんでした






街道をそのまま下ると平家越えがあります



目立つような碑文でした





右が鈴川

左が吉原宿




午前中だたったので出店の準備中で既に多くの店の準備が終わっていました

午後なら通行止めだったかな

お祭り大好き人間のノブちゃんだからこのまま参加したいけど今日は勉強会だ




ふじのくに田子の浦みなと公園 に着ました

今は工事中で7月の完成に向け土曜日でしたが仕事をしていました



この高さなら津波が来ても安心かな

依然来た時と工事が進んでいました



田子の浦港を見ています

この方向に富士山が見えるのかな?





清水の方向です




今回は此処まで

  


2013年05月29日

戸田に中学の修学旅行生が来ました

愛知県安城市立篠目中学校の修学旅行生が来て

博物館に来たのでご案内をしました

博物館に来た頃に雨が降ってきたので

外の行事が早く終わったので博物館の説明の時間も早く切り上げて

民宿へ早く行き雨に濡れた体を乾かすことになりました

最初の組は予定通りの時間で案内をしましたが

次の組からは早くなりました

最初は学芸員さんの全体の説明です



最初の組だけは造船と、深海生物館の説明をしましたが

次の組からは深海生物館の案内だけけにしました

クラス単位で六組を深海生物館を私が案内をして

造船の方は同じ仲間の高田さんにして頂きました

此処は深海生物館のタカアシガニの生態を説明しているところです

  


2013年05月27日

東郷平八郎のひ孫さんの講演会

伊東市に東郷元帥の別荘があり晩年御亡くなる前年まで伊東にいらした縁で

有志が集まり生涯学習センターひぐらし館に於いて

日本海海戦日に合わせ記念行事をしています


今回は東郷平八郎のひ孫さん東郷宏重さんで

現在海上自衛隊に在勤の方です

講演会の始め日本海海戦時にお亡くなりになられた

日本とロシアの戦死者に対して黙祷を行い講演が始まりました

今年度2月頃伊東市のウオーキングにも大学生のお子さんと

参加され曽祖父の思い出の有る町並みを感慨にふけながら歩いたようです




曽祖父は軍人の服を着た勲章がいっぱい有るのがどうしても多いいですが

奥さんと一緒に普段着のこのお写真が一番好きだとおっしゃっていました

曽祖父は子供の頃はやんちゃで気に入らないと兄さんでも仕返しをしたようです












講演会の後資料公開の前で伊東市のスタッフの方達と記念撮影です



今日の打ち上げを行いました私だけ飛び入りでおなかまに入れていただきました

各自、自己紹介で今日の事とか、この会のなり染め

九州大学卒業生が2人いました

東郷さんとの個人的な関係、伊東の別荘時代のお話

私はロシアの代表かな?ディアナ号のお話を少し


私の前に宏重さんがいたので

失礼ながら御偉い方が曽祖父で大変ではないですかと聞いたところ

色んな方々とお知り合いになれるのが良いと言って頂きました





東郷焼酎と、東郷ビールをお店で準備してあったので皆さんはお飲みになりましたが

私は空き瓶だけ頂きました、車の運転が在るので、残念

私と沼津市国際交流の先輩理事青木さんがこれから沼津市で用事が在るので

先に失礼しますと言って出かけたところ

東郷さんが席を立たれて握手して送って下さいました

大変気の付くお優しい人だと思いました有難う御座いました

出来れば戸田に来てロシア人の慰霊碑とか

博物館も案内をしますのでと言ってお別れしました


追伸 沼津市国際交流の先輩理事青木さんが交流協会の総会で

私に伊東で東郷さんのお話があると言って頂いたので今日この会に来れました

青木さんはハルピン生まれで中国語が得意で日中協会の会員さんで

中国人の沢山の方々のお世話をしています

青木さんと東郷さんの関係は当時部下の

小笠原海軍中将がなずけ親だそうです

功という名前で勇ましくなれという意味で付けて頂いたようです




  


2013年05月22日

日大フィールドワーク函南2

引きつずき月光天文台に行きました

近くにこれだけの良い施設があるとは知りませんでした

宇宙は私の憧れの学問で

これからの地球の在り方

人間が住まわせて頂いている感謝の学問と思います

環境を大事に

地球の生物で環境に悪影響の生物は人間です

第一次世界大戦前までは人間は正しいリサイクルをしていましたが

今は大量消費時代でゴミの処理も満足も出来ませんね




思わずこの方式が在ったので撮影しました

E=mc²

エネルギー = 物体の質量 × 光速の二乗

とんでもないエネルギーですね

原爆の元、原子力も正しく使えば良いですが

放射能は無くならないので地球には必要が無いですね

太陽は原子核




永遠の空間



星の一生








これまでの日本の暦は  太陰太陽暦

幕末の歴史を案内しているので暦の変化に戸惑うときが有りますので

暦に関しては大変興味があります

例えば

北方領土の日が有りますが、今の暦では、    1855年2月7日になっていますが

これはプチャーチンと川路が下田に於いて、   日露和親条約を締結した日で

江戸時代の暦 太陰太陽暦 では前年の、    1854年 12月21日です

ロシアのグレゴリオ暦では、             1855年 1月26日なので

歴史の特に幕末の頃の話の時には神経を使います





この地球儀は浮いています

又慣性の法則で永遠に回っているそうです

入り口の直ぐ右脇に有りました





  


2013年05月22日

日大フィールドワークイン函南

この日は午前11時まで戸田方面隊の小型ポンプと

大型ポンプの連結訓練の後

急いで函南の料亭島田で

仲間の日本大学大学院の伊豆学フィールドワークの先生達と

学生さん達と合流して食事後

春日神社の大楠を見学しました

この場所はJR函南駅の西よりで新幹線のガードをくぐって直ぐ左に在りました

東京から新幹線に乗り三島方向でトンネルを過ぎた直ぐ右に在るので

注意をしながら乗車していれば見れるようですよ







楠木は読んで字の如く南から来た木で照葉樹林帯に在る木で

ネパール・ヒマラヤの高度1500〜2500メートルあたりから、

ミャンマー北部を中心とする東南アジア北部山地〜雲南高地〜江南山地、

そして朝鮮半島南部から西日本に関東の南部にあります

神社にクスの大木が在るのは、日本の焼畑農耕そのもので最終的に楠木が残るので

自然宗教の神社に楠の大木が在るようです

高さは元20メートルあり枝も沢山在りましたが新幹線の工事で枝の多くを切られたようです

樹齢は900年あまりで根っこがむき出しになっていますが中が燃えたのが判ります

この木の歴史生い立ちが看板に在るので見て下さい









次に かんなみ仏の里美術館に行きましたが

此処は撮影禁止の看板が至る所に在ったので写真を撮るのを忘れました

60歳以上は割安で、ボランテアの昔美人さんが案内をして頂けるので良かったですよ

団体の観光客さんも来ていて仏像の好きな方は良いですよ



沢の向うに長源寺 薬師堂において、元東京電気のOBさんの方がオカリナの演奏をして

周りの風景とマッチして大変よろしかったです






拍手、我々は時間があまり無いのですいませんでした、拍手



此処の神社の縁起です



右あたみ道

左やま道

の標識です






  


2013年05月15日

江川代官さんの天然痘を調べていました

伊東 玄朴が、神田岩本町(東京大学医学部の前身)で天然痘の予防接種(牛痘)を

普及させようとしたが庶民には広がらず

江川太郎左衛門が長岡の江間の農民の子供三人を引き連れて(牛痘)を打ちましたが

一人の農民の子供が亡くなりこれではまずいとの事で

江川さんが、自分の長男と長女を引き連れて成功したので

(牛痘)での予防接種が広まりました

この事は昔の長岡町、江間の大北公民館の前の碑文にあります



実は今回の投稿はこれからです

天然痘は世界で最初の生物兵器だそうです

1754から7年戦争の始まりで北アメリカのフレンチ・インディアン戦争で

英国軍が一度和平になった記念に、天然痘で死んだ患者の使用した毛布を

インディアンに、プレゼンとした用に見せ掛け、感染が広がり大半が死亡しまた。



天然痘は、患者の使用した物品からも感染することがあり、それを狙ったのです。

その後ジェンナーは乳絞りの子供は天然痘に係らないと言うのは

昔から言われていたのは解っていたのですが

自分の子供に(牛痘)を打ち、天然痘にかかった菌を子供にしましたが

天然痘にかからなかったので世界に広められたのです

ちなみに1980年天然痘は根絶されたので今現在30歳の人にはワクチンは打ってありません

天然痘の菌は何箇所か厳重に保管されているそうですが外に出ては困りますね


下の絵は、ロシアの、ナターリアさんの描いた絵です

露日友好150周年のセレモニーの記念に使用されました

右端の門の下にいる、白い傘をさしたのは私です




  


2013年05月11日

戸田(へだ)の名前の由来

今は戸田を使用していますが、古いのは部田の(ヘダ)のようです

地元の鎮守の神社で927年、延喜式神名帳に伊豆国那賀郡二十二座に載っています

部の意味に辺と言う意味も有り

戸の字は片扉の形なので


部も戸も 大和言葉でヘダと言うのは御浜岬のヘリと田んぼを合わせた意味のようです


隣町の土肥も普通に云うとドヒとしか読めませんが

音読みではトイと言うので当て字で土肥と書いただけのようです


幕末の頃まで 北は元小笠原、南は沼津藩の水野様の領地で

明治22年憲法発布と同じ頃ヘダ村を合併させるのに

部田と戸田の両方を使用していたのですが

戸田のヘダに統一したようです









  


2013年05月06日

松城邸公開17名でした

連休でもう少し来るのかなと思いましたが

今回は地元の里帰りの人が二家族いました

来年度は松城邸の修理が始まるかも知れません

部分公開になるのか良くわかりません

見れる人はお早めに来て下さい




  


2013年03月02日

戸田、国の重要文化財松城邸公開日

第一日曜日、国の重要文化財松城邸公開日です

午前9時から11時半まで見学が出来ます

わが戸田ふるさと研究会がご案内します

第三日曜日は戸田出身の学芸員がご案内します

一般公開は月二回しかありませんのでご来場してください

今玄関脇の白梅が咲き頃です


長八の作品で秋の実のりです

全体がしいたけの裏側で

柿、葡萄、梨、栗、あけび、里芋、くわい、れいし、など




  


2013年02月24日

戸田村民俗学講演神野義治先生

午後1時半より予定では3時で終了でしたが

先生のお話の量が多いいので30分延長しました




最初に武蔵野美術大学教授 神野先生のスタッフの紹介がありました

皆さん先生の学生と元学生です

それぞれ専門があり、民俗学、建築、絵画、地図の専門の方々です



前半今までの3年間あまりの経緯と

今年度の予定は、編集をして来年の今頃完成の予定だそうです

後半は戸田の方言、農機具、社会環境、遊び言葉

漁法、道具、などのアンケートを出してもらい編集の参考にしたいそうです

講演終了後戸田の旅館山田屋の古文書があったので見させていただきました

  


2013年02月18日

原歴史研究会ご案内

沼津市原で歴史を丹念に勉強をしている

望月さんを中心に戸田を詳しく知りたいとの事で

船で戸田に来て直ぐに

雨の中ですが私の車で案内をして

最後博物館の深海生物舘で案内でを終わりました

10時45分から午後2時頃で終わった所です




  
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