2016年06月21日
東京大学生産研究科 戸田課外授業
東京大学 大学院の生産研究科の都市防災を研究している
加藤先生の沼津市戸田での課外授業を行いました
大学を出ての授業はほとんど無いようですが
今回多方面に渡り現地の方々のお話を聞く授業と実践を行いました
三島新幹線北口をマイクロバスで9時35分出発
10時到着 修善寺総合会館の地下に有る伊豆半島ジオパークの拠点ジオエリアを研修
10時55分出発~達磨山レストハウスに到着富士山もお迎えしました(見えました)
奥駿河湾の地形の成り立ちと
淡島の手前に有る重須の集団移転の長井崎中学の高台を上からの俯瞰図
戸田峠を下り ゴゼの展望地から戸田港の俯瞰図
11時50分 マイクロバスをお借りした山田園に於いて1500円の昼食ご馳走でした
13時くるら戸田の二階会議室に於いて地元の現状と課題を聞いての質問等
最初 沼津市危機管理課の課長のお話で11年前に合併した後の戸田に於いての
防災の歩みと県の土木事務所の東海地震の津波の対策の現状
次に 観光協会の事務局長のお話で過去の観光と現在何に力を入れているか
大学に於いては防災を有効利用した観光の発展との関係をレクチャーをしました
次は戸田連合自治会長のお話で 避難路の現状 避難タワー 避難ビル
年3回行われる防災訓練に於いての避難訓練と
戸田地区に於いての会場型の訓練の方法
(戸田地区の消防署と消防団と日赤奉仕団)によるコミニケーション造りと訓練の指導
AEDの訓練、土嚢の積み方、応急担架、天ぷら火災、水消火器、三角巾の使い方
写真で説明
教授、講師、院生による意見の応答 15時10分に終了
その後 出合岬にマイクロバスで移動
日本平、富士山 新東名 戸田湾の見学
マイクロバスで移動 おたね橋で降車戸田で最初の小中島区に有る緒明公園の避難タワーを見学
戸田の防災の現状と観光との絡みの歴史散歩プチャーチンロード
避難時の町中の川筋と水源、プチャーチンの宿泊した宝泉寺の前に有る急傾斜にある新設の非常階段
県が造った急傾斜地の非常階段の検証
マイクロバスで移動 ヘダ号の造船所跡地と旧国民宿舎県道上から見た自称日本で一番富士山がよく見える場所
御浜岬 左に駿河湾、右に戸田の湾、白い砂浜と緑の松越しに見える富士山
マイクロバスで御浜岬に有る東京大学の戸田寮に17時到着
2日目 徒歩で 御浜岬の先に有る 沼津市戸田造船郷土資料博物館入館 地元の施設利用すると2割引有160円です
プチャーチンの乗っていたデアナ号が安政の大地震で破損し戸田港で修理の予定が富士市まで流され駿河湾に沈み
代船としてヘダ号を造りプチャーチンは無事帰り、戸田の船大工は洋式造船の技術を習得して日本の近代洋式造船の
発祥の地に成りました
マイクロバスで松城邸に移動10到着
沼津市の建造物で国の重要文化財は松城邸だけです、沼津の市街地は軍需工場が有った為空襲で焼けました
松城家は廻船問屋で財を成しヘダ号の造船時は造船御用掛に成りました
重要文化財の価値は、明治6年上棟、9年完成で一階は和風、二階、は洋風で和洋折衷、
鏝絵で有名な伊豆の長八の作品が多数有ります
途中静岡新聞が松城邸が6年かけて9月からおよそ7億円かけて調査修復するので
新聞に掲載するので学生をモデルに写しに来ました
博物館と松城邸は私山口が戸田ボランテアガイドで案内しました
11時マイクロバスで山田園で昼食1500円でしたが昨日とは違う品ぞろえです
12時マイクロバスで出発途中内浦の集団移転の話がある重須の避難タワーでレクチャーで13時半出発
三島北口で新幹線で帰りました
ジオエリアの川の出来方です
ボランテアガイドが色んなパターンをしてくれます
面白いですよ

達磨山レストハウス
沼津アルプスと愛鷹山が見えます

ゴゼ展望台
戸田港がよく見えます

防災の基本

戸田に於いての津波のシュミレーション
未だこれは戸田地区には承認されていません
研究段階です

学生による質問

加藤先生の沼津市戸田での課外授業を行いました
大学を出ての授業はほとんど無いようですが
今回多方面に渡り現地の方々のお話を聞く授業と実践を行いました
三島新幹線北口をマイクロバスで9時35分出発
10時到着 修善寺総合会館の地下に有る伊豆半島ジオパークの拠点ジオエリアを研修
10時55分出発~達磨山レストハウスに到着富士山もお迎えしました(見えました)
奥駿河湾の地形の成り立ちと
淡島の手前に有る重須の集団移転の長井崎中学の高台を上からの俯瞰図
戸田峠を下り ゴゼの展望地から戸田港の俯瞰図
11時50分 マイクロバスをお借りした山田園に於いて1500円の昼食ご馳走でした
13時くるら戸田の二階会議室に於いて地元の現状と課題を聞いての質問等
最初 沼津市危機管理課の課長のお話で11年前に合併した後の戸田に於いての
防災の歩みと県の土木事務所の東海地震の津波の対策の現状
次に 観光協会の事務局長のお話で過去の観光と現在何に力を入れているか
大学に於いては防災を有効利用した観光の発展との関係をレクチャーをしました
次は戸田連合自治会長のお話で 避難路の現状 避難タワー 避難ビル
年3回行われる防災訓練に於いての避難訓練と
戸田地区に於いての会場型の訓練の方法
(戸田地区の消防署と消防団と日赤奉仕団)によるコミニケーション造りと訓練の指導
AEDの訓練、土嚢の積み方、応急担架、天ぷら火災、水消火器、三角巾の使い方
写真で説明
教授、講師、院生による意見の応答 15時10分に終了
その後 出合岬にマイクロバスで移動
日本平、富士山 新東名 戸田湾の見学
マイクロバスで移動 おたね橋で降車戸田で最初の小中島区に有る緒明公園の避難タワーを見学
戸田の防災の現状と観光との絡みの歴史散歩プチャーチンロード
避難時の町中の川筋と水源、プチャーチンの宿泊した宝泉寺の前に有る急傾斜にある新設の非常階段
県が造った急傾斜地の非常階段の検証
マイクロバスで移動 ヘダ号の造船所跡地と旧国民宿舎県道上から見た自称日本で一番富士山がよく見える場所
御浜岬 左に駿河湾、右に戸田の湾、白い砂浜と緑の松越しに見える富士山
マイクロバスで御浜岬に有る東京大学の戸田寮に17時到着
2日目 徒歩で 御浜岬の先に有る 沼津市戸田造船郷土資料博物館入館 地元の施設利用すると2割引有160円です
プチャーチンの乗っていたデアナ号が安政の大地震で破損し戸田港で修理の予定が富士市まで流され駿河湾に沈み
代船としてヘダ号を造りプチャーチンは無事帰り、戸田の船大工は洋式造船の技術を習得して日本の近代洋式造船の
発祥の地に成りました
マイクロバスで松城邸に移動10到着
沼津市の建造物で国の重要文化財は松城邸だけです、沼津の市街地は軍需工場が有った為空襲で焼けました
松城家は廻船問屋で財を成しヘダ号の造船時は造船御用掛に成りました
重要文化財の価値は、明治6年上棟、9年完成で一階は和風、二階、は洋風で和洋折衷、
鏝絵で有名な伊豆の長八の作品が多数有ります
途中静岡新聞が松城邸が6年かけて9月からおよそ7億円かけて調査修復するので
新聞に掲載するので学生をモデルに写しに来ました
博物館と松城邸は私山口が戸田ボランテアガイドで案内しました
11時マイクロバスで山田園で昼食1500円でしたが昨日とは違う品ぞろえです
12時マイクロバスで出発途中内浦の集団移転の話がある重須の避難タワーでレクチャーで13時半出発
三島北口で新幹線で帰りました
ジオエリアの川の出来方です
ボランテアガイドが色んなパターンをしてくれます
面白いですよ

達磨山レストハウス
沼津アルプスと愛鷹山が見えます

ゴゼ展望台
戸田港がよく見えます

防災の基本

戸田に於いての津波のシュミレーション
未だこれは戸田地区には承認されていません
研究段階です

学生による質問

Posted by ノブちゃん at 11:28│Comments(2)
│消防・防災活動
この記事へのコメント
加藤先生から、防災もまちづくりの話もありましたね。
こういった話は既に土肥では市民レベルの話し合いで披露されており、観光や漁業のことも考えた防災まちづくりが話し合われているそうです。
戸田でも、防災もまちづくりをやっていくと良いのではありませんか?
単に逃げるだけでも難しいようですし、逃げなくても良いまちづくりも模索することは重要だと思います。
地域に明るい将来が描けると良いと思っています。
こういった話は既に土肥では市民レベルの話し合いで披露されており、観光や漁業のことも考えた防災まちづくりが話し合われているそうです。
戸田でも、防災もまちづくりをやっていくと良いのではありませんか?
単に逃げるだけでも難しいようですし、逃げなくても良いまちづくりも模索することは重要だと思います。
地域に明るい将来が描けると良いと思っています。
Posted by 冬苺庵
at 2016年06月22日 12:52

すいません。
逃げなくても良いというのは誰でもというわけにはいきませんよね。
みんなが逃げなくても良いというわけにはいきませんね。
津波を防御する物を何処かに作ったとして、それよりも海側に誰もいなければ逃げなくても良いですが、そういうわけにもいかないですよね。
でも、津波を防御する物の上にまず逃げれは良く、更に高台に逃げられるようにすれば完璧です。
お金はどのくらいかかるのか?それをどう捻出するのか?ということが、東大の大学生に課せられた課題だと思うのですが、先生たちはちゃんと指導できるのでしょうか?
逃げなくても良いというのは誰でもというわけにはいきませんよね。
みんなが逃げなくても良いというわけにはいきませんね。
津波を防御する物を何処かに作ったとして、それよりも海側に誰もいなければ逃げなくても良いですが、そういうわけにもいかないですよね。
でも、津波を防御する物の上にまず逃げれは良く、更に高台に逃げられるようにすれば完璧です。
お金はどのくらいかかるのか?それをどう捻出するのか?ということが、東大の大学生に課せられた課題だと思うのですが、先生たちはちゃんと指導できるのでしょうか?
Posted by 冬苺庵
at 2016年06月23日 21:24
